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まだ、このブログで何を書いていくのか決めていません。

August 2009

鳩山新政権は「反小泉改革」ではなくて「超小泉改革」

民主党の政策に関して、かなりの人がバラマキだっていうけれど、そうでもないと思う。 あのマニフェストは、内容を詳細に見ると非常に自由主義的な内容で、小泉改革の推進(あるいは補完)のように見える。あれをじっくり見ると、小沢一郎って言う人は、「日本改造計画」のころから、大きくは変わっていないんだなと思う。 あれは、社会民主主義的バラマキに見せかけた、実質的な自由社会主義的改革政策のセットだと思う。 小泉元総理は、理念としては明快な自由主義を掲げていたんだけれども、実際には、かなりムラのある政策を実行したと思う。彼の在任期間中に、「改革」がほとんど進まなかった分野と、比較的スムーズに進んだ分野が混在している。 たぶん、あのムラは意図的だったんだとおもう。 発足当時、党内基盤が強いとはいえなかった小泉元総理は、「痛みを伴う改革」をすべての業界に対して求めるわけには行かなかった。 その結果、彼の政敵であった平成研を中心とした「抵抗勢力」の地盤を切り崩すような「改革」は、優先的にスケジュールされたが、その一方、彼を支持する連中の既得権益を危険にさらすような「改革」は、後回しとなった。 たぶん、そうしなかったならば、小泉改革は「二正面作戦」を余儀なくされ、より大きな抵抗を受けることとなっただろう。ひょっとすると政権は短期間で崩壊していたかもしれない。 たぶん、二正面作戦を避けるためにも官僚機構を味方に付けておく必要があったのだろうと思う。使い道を官僚が決められるような、利権にかかわる予算は、ほとんど減額していない。 多分、このことと、「政府の無駄を省く」という理念のつじつまを合わせるために、小泉政権は、使い道を官僚が決められないような予算、つまり、社会保障などの所得再配分に関連する予算を中心に削減することになった。 今回の民主党の政策は、建前としては、小泉改革の是正、行き過ぎを正すこと、を目標にしているように見える。2009年現在、小泉改革の評判は決してよくないし、民主党の郵政民営化反対くらいしか政策らしい政策のない政党とすら連立を組まなくてはならない立場を考えれば、当然のことではある。 ただ、あのマニフェストの内実は、どう読んでも、小泉改革の「行き過ぎ」を正すことではなくて、小泉改革の不徹底だった部分をよりラジカルに改革すること、ではないか。 大体、内容の多くが、かつて清和会が掲げていたものに酷似しているような気がするのは、僕だけだろうか? 懸念されている、あの16兆円の「財源」についても、案外うまくいくのではないかと思う。 たぶん、今はまだいえないだろうけれども、今回の選挙で自民党を支持した連中や、鳩山改革に反対する連中の利権を削減するつもりなのだろうとおもう。つまりは「報復予算」。 そういうやりかたは、ある種の「正義」に反するかもしれないが、自分の生活がよくなるのであれば、一部の人の利権が削減されても、だれも気にしないのではないだろうか。 「無駄を省いて財源を確保する」というのは、たぶん、単なるスローガンに過ぎない。そもそも、国家予算の中で、無駄な部分をきちんと識別するというのは、それだけで大変な労力を要する仕事だし、それ自体にかかる予算を考えたらほとんど不可能であろう。 だとすると、たぶん、小沢も鳩山も変節していない。 この国で自由主義的改革を訴えることは、大きな抵抗にあう。 あのマニフェストは、その抵抗を排除するための一種の詐術なのだろうと思う。 ちょうど、アウグストゥスの帝政の導入が、「共和制の復活」を偽装して行われたように、民主党のバラマキは、リバタリアニズムが、バラマキを偽装してやってきたのだろうと思う。 あの民主党のマニフェストは、マキャベリ的な読み方をするべき文書だと思う。

新薬の作られない世界

最近、新しい薬が、だんだん作られなくなっている。 まれに新薬の話がでても、たいていは特殊な体質の人にしか使えないとか、マイナーな疾患にしか効かないとかで、あんまり、開発しても製薬会社に「うまみ」がありそうには思えないものが多い。おそらく、マーケットの大きい、うまみのある薬の多くはすでに開発され尽くしているんだろうと思う。 人間の体に影響を与える多くの薬物は、抗生物質の類を例外とすれば、そのかなりの部分が細胞膜上のレセプターをはじめとする人間の体を構成するたんぱく質に結合するという方法で効果を及ぼすわけで、また、その、人体のたんぱく質の種類っていうのは有限なわけだから、だから、そもそも科学的に合成しうる薬物の薬効の種類自体、有限なのかもしれない。 数年前、ある大手製薬会社の経営トップが、近所の大学に講演にきて、そのときに、「新しい薬を開発するっていうのは、新大陸を発見するようなロマンのある仕事だ」って、学生相手にアジテーションしていた。 たぶん、彼は、彼を演者として呼んだ大学との関係もあって、そういわざるを得ない立場だったんだろうけれども、でも、そのとき、彼の率いる製薬会社は新しい薬の特許料で儲けるというビジネスを放棄して、その代わり、既存の薬を他社よりも安価に作れる会社として生まれ変わろうとしていた。 そのために、新薬開発の規模縮小を着々と実行していて、その一方で、途上国に大規模な生産拠点を作る計画を立てていた。 彼の会社は、リストラの一環として、大学の研究室に寄付もしていた。 意味がわからない? 自社の研究所の使えない研究者をクビにすると角が立つから、クビにする代わりに、大学に任期つきの教員として雇ってもらうのだ。その代わり、会社は、研究室に、いくばくかの寄付をする。企業から見ると、若干の寄付で、サラリーマン研究員の解雇に伴うトラブルを避けることができる。 リストラされる本人から見ても、見た目の上では、企業の一介の研究員から有名大学の准教授への栄転だ。ただし、数年後には安定したサラリーマンの給与を失う条件付なんだけれど。 あの製薬会社のトップの講演も、そういう、人員整理に協力する大学のためのリップサービスとして行われたものだったと思う。 ここ数十年で、新しい薬品開発するために必要なコストって言うのはだんだん高くなってきて、さらに、新薬開発の成功率も下がってきていて、しかも、新しく作られた薬の市場は、どれもこれも非常に小さい。 だから、多くの製薬会社は、その会社と同じように、新薬開発をあきらめ、価格競争に活路を見出そうとする。 僕は、新薬が開発されなくなる時代っていうのは、非常に近いとおもっている。 あの製薬会社社長の言った、「新薬開発は新大陸発見」というのは、実のところ、非常に正しいアナロジーだったのかもしれないと思う。 16世紀、新しい陸地を「発見」することは、ヨーロッパ諸国に莫大な利益をもたらした。けれども、地球は有限である。新しい陸地、少なくとも、ある程度のうまみのある大きな陸地は、ほんの数十年の間に発見され尽くしたのだ。 一切、新薬が作られなくなるとしたら、医療の世界はどうなるだろう? 無論、新薬が作られなくなることは、医学の進歩がなくなることを意味するわけではない。 既存の薬の組み合わせについて考えたり、栄養のとり方や運動、ぼくが専門にしている内科的な分野だけでも、まだまだ発展の余地は大きい。 でも、新薬が作られ続けている世界とそうでない世界では、おそらく、医療分野の、特に経済の目で見た景色は大きく違って見えるだろうと思う。 たぶん、それは、僕たちが、もうすぐ生きることになる世界だろうと思う。 参考:バイオベンチャーが成功しない理由って何ですか?

ピペド問題は理学部生物学から逃れても続くんだよ

まず、ここまでの経緯 数日前、はてなのアノニマスダイアリーに「ピペド問題」について、問題提起する記事がでた。 この記事が告発する「ピペド問題」の深刻さに驚くギャラリーによって、当該エントリーはすぐさま炎上した。 僕自身も、この件に関してワープーになりたくない生物系学生は数学を勉強せよという記事を書いた。 翌日、そのエントリーが別のブログ「皆殺しの天使」からの無断転載であることに気付かれ、炎上は転載もとのブログに移った。 結果、その2日後の現時点では、「皆殺しの天使」はすでにアクセスできなくなっている。 さて、その「皆殺しの天使」に対する下記の記事から 出身学科は就職機会に関係するけど就職後には関係しないの下記のコメントについて(本来ならば、先方のコメントに書き込むべき話だったのかもしれないけれども、なぜかうまく書き込めなかったため、こちらのブログに書く)。
ご紹介のエントリーを通して私が理解した点は以下のとおりです。 1. 分子生物学の主たる研究テーマは新事例の収集である 2. 新事例は最初に報告した人間の成果となるので、速度がもっとも重要である 3. そのため、世界中で新事例の発見競争が勃発している 4. 新事例の収集を行うためには、ピベドと呼ばれる単純作業を行う人間が必要不可欠である 5. 研究成果(新事例の収集)がないと研究費を得られず研究を続けられない 6. 日本のほとんどの大学にはテクニシャンがおらず、学生を労働力として使用せざるを得ない 7. その結果、学生は学部4年生~大学院時代にかけて労働力として扱われ、実用的な専門知識を身につけられない 8. 日本の分子生物系にはこのような事実があるので、高校生は分子生物系への進学は止めた方がよい。
僕の見聞きする範囲では、このうち、6は、おそらくピペド問題とは関係ない。 僕の多くの知人が、医学部の、いわゆる「基礎医学」の研究室で分子生物学の研究に従事していて、僕も時々、そういう研究室に遊びに行く。 この医学部の基礎というやつは、研究手法は理学部生物学科とほとんどかわらない。 つまり、「ねるねるねるね」を使う実験係を大量に動員しての調査。 でも、たぶん、理学部生物学科の大学院よりも研究予算は潤沢で、普通はテクニシャンを雇う程度の余裕はある(もちろん、研究室によってはないこともある)。 ただし、テクニシャンを雇っているからといって、学費を払っているピペドがいないわけではない。もっぱら、医学部修士課程の学生がピペドとして動員されていることがほとんど。かれらは、自分たちより低学歴かもしれないテクニシャンと並んで「ねるねるねるね」をいじっている。ちなみに、同じ作業をしているテクニシャンより労働時間は長いことが多い(ただし無給)。 たぶん、マンパワーが必要な現場で、現場監督(教授)の権力に従順な人がいたら、どうしたって労働力として使われるしかない。マンパワーがあればそれだけ実績につながる(と信じられている)現場で、必要な奴隷の数に上限はない。テクニシャンを雇えたとしても、安価な奴隷の「利用価値」は高い。 だから、
中期的には国が生物系の研究を維持したいのであれば、大学を含む研究機関がテクニシャンを 雇えるようにするしかないでしょうね。それこそ、高卒者の就職対策として。
というのは、学生が適切な教育を受けるためにはほとんど助けにならないと思う。 さて、僕などは、こういう研究室の学生には、しょっちゅう専攻の変更(もしくは就職)を勧めている。 だって、奴隷でいたって将来につながらないのだから。 でも、そう言っても、専攻を変えたり就職したりする学生はまれだ。 かなりの数の学生は、 「この大学院にいたら、将来暗いのはわかっているけれど、自分はコミュニケーションが苦手だから、就職してやって行く自信がない」 「自分が他分野に行って、研究できるとは思えない(難しい数学とか英語とかわからないけど、ピペドなら、自分でもできる)」 こういう学生たちの自信のなさは、ある意味でやむをえないことではある。彼らは、大学生の後半、つまり、通常であれば、多くの勉強をして、友人や教官と議論をしたり、また、アルバイトをしたり、就職活動をしたり、そうやって学問的にも人間的に成長する大切な時期を、完全に奴隷として奪われてしまったのだ。その分、コミュニケーション能力や科学的な思考力が、おそらく高校時代には同程度の学力だった彼等の友人たちに大きく劣っている(少なくとも本人たちは、そう思っていることが多い)。 また、ひどい場合には、学部時代の指導教官から、 「君のようなコミュニケーション能力のない人間は就職しても、ろくな社会人になれないから、大学院にくるしかないよ。」 とか 「分子生物学の研究ならば、手を動かすしか能がない人間でも、やっていける。でも、他分野では、君のような頭の悪い人間は留年を繰り返すだけだよ。」 みたいな言葉を言われ続けていたやつもいる。 大人の目から見ると、そういうことを言う教官たちが、単に労働力をほしいだけなのははっきりしている。でも、まだ世間を知らない学生たちは、奴隷扱いされ、友人と会う時間もなくなり、そして、こういうことを周囲から言われ続ければ、確実にスポイルされる。 たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけないの著者は、そういう境遇にいたのだろうと思う。 僕のよく知っている、医学部修士課程の学生たちのほとんどは、理学部の学部時代にそういうことを言われて、奴隷扱いされて、それに耐えられなくて、で、医学部の大学院に移ってきた連中だ。 彼等の大部分は、医学部の基礎でならば、彼等の唯一身に付けた「技術」である、ピペット操作を役立てることが出来るし、それに、医学部ならば、理学部と違って、実際に役に立つ「何か」を身に付けられるかもしれないと考えてくる。そういう希望的観測が誤りであることを気づくチャンスは、院試を受ける前に、いくらでもあるのだけれど、でも、理学部生物学科にいる彼らの多くは、医学部の院への進学を「地獄に下りてきた一本だけの蜘蛛の糸」だと思っているから、不安を頭から振り払い、時々垣間見える不吉な未来に目を閉ざし、そうして、「蜘蛛の糸」を通って別の地獄へやってくる。 ようこそ、奴隷諸君。 僕は、彼らは、大学院をやめたほうが幸せになれると思っている(彼等の多くも、それに同意する)。 でも、外の世界に行くには、彼らには、もっと自信が必要なんだと思う。 現に、ほかの分野、特にほかの理科系の分野でも自分が通用すると思っている学生は、もっと自分が幸せになれる分野に、簡単に移動する。 僕が見るに、ほとんどの場合、ほかの理科系の分野で活躍できないと彼らが感じている最大の理由は、彼等の数学力の欠如である。 というわけで、やっぱり、数学を勉強しなさいって結論になるのだな。

hiroyukikojimaの日記、一気読み

yhiroyukikojimaの日記の過去ログ読了。 数学関連のエントリーの面白さはさすが。 数学のあまり得意でない人に対しての配慮が見える書き方が、暖かい。

ワープーになりたくない生物系学生は数学を勉強せよ

~生物系・農学系の就職について~
自分は『とにかく研究開発職に就きたい。でもドクターまではどうかと思うけど、マスターくらいは出ておきたい!!』と思い、なんとなーくな感じで、大学院へ進学しました。しかし、これがかなり危険であることを今になって身をもって分かりました。
正しい。笑っちゃうくらいに正しい。 周囲のバイオ出身者を見ていて、つくづくそう思っている。 ただし、そうなってしまう理由として、以下の認識は間違っている。 「バイオ批判」 まとめ 生物系の学部・学科を目指している人へ
自分の経験から思ったことなんですけど、生物系・農学系は医歯薬と違って資格という資格も無いので、修士へ進学することも結構危険で、博士へ進学することはもっと危険なのだと実感しました。なぜって社会のニーズが本当に無いんですもの。
大学で教えたことがあれば嫌と言うほどわかるが、そもそも、どの分野にせよ、日本の多くの大学で教えていることは、そのままの形でビジネスに役に立つことなんてほとんど無いのだ。
つまりは、「ねるねるねるね」 とは、生物学系の実験室で行われている実験作業というものが、「ねるねるねるね」 を作るということと同レベルに簡素で、続けていても何の身にもならないことを意味するものです。 分子生物系実験室で使われる試薬などはすべてキット化されており、キットを開いて説明書どおりに手を動かせば、誰でも簡単に、あなたのオカンでも簡単にその場でできてしまいます。 生物系では、この単純な作業を延々と続けるわけです。
ニーズのある技術を身につけても、その上手なプロモーションをしたり、その応用を考えたりってできなかったら、それじゃあ、結局、少し他人にとって使い勝手のいいドカタでしかない。 ワープーの看護師や歯医者なんて、いっぱいいる。 もし、「ドカタ」をしたくないのならば、必要なことは、そういう「技術」じゃない。 もっと応用の利く「法則」を学ぶことなのだと思う。 たぶん、生物系出身者に比べて、理数系出身者のほうが給与が高めになるとしたら、前者が、さまざまな事物を列挙するだけの「博物学」であるのに対して、後者が、(時にあまりに大雑把な単純化をしているにせよ)「法則」を志向する態度を身につけるからだろう。大雑把でも応用の利く「ルール」を考えることは、ビジネスのためのしくみを考えるためにも良いトレーニングになる。それに、「博物学」の応用分野は、その性質からして労働集約的なビジネスになりがちなのだ。 もちろん、これは、大学の出身学部がどうであれ、個人としての努力でどうとでもなる話でもある。 だから、ワープーになりたくない生物系学生は、自分で時間を作って数学を勉強しなさい。 僕自身、学生時代に数学を学ぶ時間をもっと作るべきだったなと思っている。 もちろん、今からだって遅すぎるってことは無いので、いまも勉強しているわけなのだけれど。

医者は病院にかからないのか?-医師国保組合の不思議

僕は、フリーランスの医者なので、国民健康保険に入ってなくてはいけないのだけれど、最近、東京都の医師保険組合のページ を見て保険料が安いことに気づいた。で、これに入ろうかなと思っていたんだけれど(僕にも加入資格はあるみたいだ)。見ているうちに、いろいろ、気になるところがでてきて、考え込んでしまった。 正組合員一人月額17000円(組合員家族一人につき7000円)ってのは、自治体国保や一般の社保より確かに安い値段だ。月額17000円(扶養家族なし)てことは、年額20万4000円の保険料。 通常の自治体国保は、所得や住民税額によって保険料が変わるけれど、月額20万4000円ってのは、僕の住んでいる東京都文京区 では、住民税を14万2820円支払っている人の金額。 総務省発表のモデルケース からすると、独身者では、年収300~350万円くらいの金額と思う。 つまり、決して高所得者とはいえない人向けの値段だ。 で、疑問なのは、こんな値段でどうしてやっていけるのかってこと。 はじめ、国庫補助が沢山出ている、つまり、東京の開業医がエコヒイキしてもらっているってことなのかなと思ったのだが、どうも、そうでもないらしい。 調べてみると、日本中どこでも、医師国保組合は、保険料が安い傾向にあるみたいだし、それに対する国庫補助も32%しかない。この数字は、他の国保組合に比べても、ずっと低い数字で、国庫補助の最低ラインだ。 これが意味するところは、医師自身への医療は、安上がりになる。つまり、医師は、他の職業の人に比べて、あまり病院にかからない傾向にあるということなのだろう。 これは、面白いかもしれない研究テーマ。 医学教育をうけると、病院や医療にかからなくなる傾向にある、としたら、一般向けに医学教育を行うことは、疾病予防などの効果があるってことなのかもしれない。 その投資効果ってのは、どれくらいだろう? ウェブで調べていたら、こういう文章 を見つけた。 医師国保組合には自家診療の給付制限 というのがあるらしい。 うーん つまり、僕自身(とその家族)が、僕の勤務先で治療を受けるとき、もしくは、僕自身が僕の家族を治療するときには保険がきかないってことか。 たぶん、架空の医療費請求を防ぐためなんだろうけれども、不便だという印象。 うーん、でも、保険料が安くつくのは魅力。入ろうかな。
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Hideaki Takata

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