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まだ、このブログで何を書いていくのか決めていません。

September 2009

実は、ウィンドウズ95のUIは、マックより遥かに優れていた。




ブログネタ: あなたにとってWindowsの魅力ってなに?count


ここから書きます↓
すくなくとも、ある種のユーザーに対しては、当時のウィンドウズ95のインターフェースは、もっとも適したものだったのだろ思うようになった。 もちろん、歴代のマックOSなんかと比べても、遥かに優れている。 そう思うようになった。 僕は、ウィンドウズ95よりも昔からウィンドウズとDOSを使っていたけれど、そのころ、ウィンドウズってのは、なんとなく、マックに比べてかっこ悪かった。 ウィンドウズのパワーユーザーも含めて、ウィンドウズってのは、結局のところマックのできの悪いコピーでしかなくて、マックのほうが直感的な操作ができて、デザインが垢抜けていて、そうそう、ウィンドウズはマッキントッシュと違って「魂がない」なんて言われ方もしていた。 でも、憧れのマックは値段が高くって、なかなか買えなくって、「代用品」としてのウィンドウズを使っているうちに、いつの間にか、日常的に使うソフトなんかのマック版は姿を消していって、、、 結局、僕の初めてのマックは、仕事でUNIXのソフトウェアを動かさなくちゃいけなくなって購入したOSXになった。 それ以降、マックもウィンドウズも、両方使っているんだけれど、いろいろいじくってみて、マックのほうが直感的でセンスもいいなぁとずっと思っていたところ、最近、思いがけないウィンドウズのよさを見つけて、ウィンドウズを、特に、ウィンドウズ95を見直している。 最近、このブログにも書いたことだけれど、とある医療関連ソフトウェアのユーザーインターフェイスの設計を引き受けた。このソフトウェアは、業務用に使われるものなんだけれど、このソフトウェアの使われる職場は、以下のような特徴があった。
  1. この業務に携わる人たちの労働市場はきわめて流動的で、したがって、このソフトウェアのユーザーは、頻繁に転職をくりかえす。
  2. 転職してきたばかりの新人は、ソフトウェアの使い方を覚えるまでは、ほとんど仕事ができない。
  3. したがって、ソフトウェアの操作を覚えるために必要な期間が長いと、実際に業務に携わることができない従業員を作ることになる。つまり、操作を簡単に覚えられるものを使うことで、効率を引き上げることができる。
  4. また、十分にソフトウェアの使い方を覚えた従業員も、ひとつの職場に定着することは少なく、結果、うろ覚えでソフトウェアを使っている者が多い。
  5. したがって、操作するために覚えなくてはならない項目を減らすことで、操作ミスに起因する事故を防ぐことになる。
  6. このソフトウェアでする仕事の中には、いくつか、相当複雑な手順を必要とする操作がある。しかし、その操作は、それほど頻繁に行うわけではない。
  7. 今回、ベンダーは、ユーザーサポートにかける予算がほとんど用意できない。
  8. したがって、ユーザーには、操作方法がわからないという思いをさせてはならない。
そんなわけ。僕は、使いやすいインターフェイスといえば、つまり、「直感的」で、「センスのいい」デザインがいいとおもって、で、「直感的」、つまり、アイコンで、直接操作できるような感覚を大事にしたいと思って、で、できるだけ「センスのいい」デザイン、つまり、マックとかiPodとかでよく見かけるアイコンとかメニューのデザインをパクッて使うつもりだった。センスがいいのはアップルだと思っていたからね。 で、そういうデザインを紙に書いて、ペーパープロトタイピングしてみたんだけれど、あんまり、テストユーザーの反応が芳しくない。 「直感的」なはずなんだけれど、みんな、はじめてみると使い方がよくわからないみたいなんだ。 いろいろ試行錯誤して、わかったこと。
  1. 「直感的」に利用できるためには、そもそも、操作する対象について、ユーザーが心理的なモデルを持っていなくてはならない。「はじめてそのカテゴリのソフトウェアを使う人が説明なしでも使える」ことを目標にするならば、「直感的」であることに頼ってはいけない。
  2. 「直感的」であることに頼る代わりにウィザードを用意するとよい。特に、はじめての操作、あまり頻繁でない操作が複雑な場合、たとえ冗長に感じられてもウィザードを用意すべきである。
  3. はじめてソフトウェアを見た人が使いやすいために、画面上にあるものは、クリックできるものなのか、そうでないものか、見た目でわかるようでなければならない。クリックできるものは、可能な限りボタンらしく、四角くて出っ張って見えるものだと良い。丸みを帯びたデザインに比べて無骨なデザインになるが、やむをえない。無骨な四角という前提の範囲内で可能な限りかっこよくするべきである。
  4. ボタンは、何をするためのボタンなのか「何をするためのボタンなのか」初見者にわかりやすく書かれているべきである。その際、そのボタンの機能を表すアイコンは、あまり役に立たないことが多い。絵文字は、心理的なモデルに依存することが多く、また、誤解を招きやすい。
  5. したがって、そのボタンの機能を言葉で書くべきである。「スタート」ボタンとか、「削除」ボタンのように。こうすることで、ボタンの機能について誤解を少なくできるし、また、操作方法について、実演しなくても言葉で説明できる。
というわけで、マック風デザインは、大幅な変更を余儀なくさせられ、いつのまにか、ほとんど、ウィンドウズ95風クラシックデザインになってしまった。 僕の記憶が正しければ、はじめてウィザード(あるいは、アシスタント)を大規模に採用したのも、「スタート」ボタンを採用したのもウィンドウズ95だ。 当時は、こういうのは、ダサいと思っていた。直感的で直接にオブジェクトを操作できる(ように見える)インターフェイスにくらべて、ウィザードは、アドホックで安直な解決策に思えたし、角ばったデザインは、無骨で重苦しく感じられた。簡潔でポップな絵文字に比べて、日本語がかかれたボタンはゴチャゴチャしてセンスが悪く感じられた。 でも、あのデザインは、少なくとも、「その種類のソフトウェアをはじめて見る人」にとっては、大変に優れたデザインだったんだと思う。たぶん、あの当時、ウィンドウズ95が想定した典型的ユーザーは、「これまでグラフィカルユーザーインターフェイスというものを触ったことがないユーザー」だったんだろうとおもう。 たぶん、ウィンドウズ95のデザインのミッションは、あのOSを立ち上げることがパソコン初経験になるというような人が、大きな問題を経験することなく「パソコンユーザー」になれるようにする、ということだったんじゃないか? その後の状況の流れを考えると、たぶん、その狙いは、完全に当たっていたのではないかと思うのだ。 あれから15年たって初めて、あのころのマイクロソフトのデザインのすごさに気づいた。そういう自分の鈍さにため息が出る。

診療所用の電子カルテの最小構成のメモ

ここしばらくで、診療所用の電子カルテをカスタマイズ不要にするために、「電子カルテの最小構成」について、考えてみる。 ここで言っている、「最小構成」というのは、オプション機能を取り除いた「最小限必要な機能のセット」という意味ではなくて、「診療所のスタイルにかかわらず必要な構成」のこと。違いがわかりにくいか? こんなこと考えている理由は、 1、電子カルテをカスタマイズするのには、結構なコストがかかる。 2、そこで、多くのベンダーが、可能な限りカスタマイズをしなくてもすむ構成を考えている。 3、でも、病院や診療所のサービスや経営のスタイルはさまざまなので、それにあわせて、多少のカスタマイズは必要なことが多い。 3、ところで、実のところ、多く売られている電子カルテには、不要、あるいは冗長な機能が多い 4、冗長な機能と受け取られがちなのは、結局、カスタマイズが必要な部分になることが多くて。。。 というわけで、「システムを使うための最小限の機能」という、「最小構成」ではなくて、「ほとんどの診療所のサービスや経営のスタイルで、カスタマイズしないで使えるような機能のセット」、つまり「最大公約数構成」のような意味の「最小構成」を検討してみた。 たぶん、 1、レセコン部分 公費治療のための医事システムってのは、どこでも必須の機能。 2、医師入力部分 結局、レセコン入力を、医師が診察室で済ませてしまうって言うのが、電子カルテのキモなわけで 3、受付部分 診察室に入る前に受付を済ませるというのは、まあ、普通の診療所では当たり前なわけで、とすると、そのときに、カルテの表書きだのなんだのってのは、処理してもらいたい。 4、検査伝票、処方箋などのプリントアウト 5、処置用に看護師が見る支持受け端末 くらいを使うのが、最小のユースケース。 とすると、多分、あれとかこれとかは不要になる。

マリオの大人プレイ

最近、任天堂DSiを買った。 で、初めて買ったソフトが、マリオ&ルイージRPG3。というか、このゲームをするためにDSを買ったのだ。 というのも、ずっと、マリオとルイージがクッパの体内に入って、クッパと共闘するという設定を、コマーシャルで見て、やってみたくて仕方がなかったから。 なんといっても、僕は、ミクロの決死圏が大好きで、それで、人体について勉強しようと思った過去がある。さらに、医学部の勉強にうんざりして、大学を辞めようと思っていたころに、当時、NHKでやっていたナノセイバーを見て、医学の勉強も悪くないと思い直したこともある。そういう人間。 そういうわけで、このゲームの設定は、完全に人体SFマニアである、僕のツボを直撃したのだ。 で、ゲームはクリアするまでに1週間ばかりかかったのだけれど、正直、人体SFマニアとしては、ストーリーは物足りなかった。なんというか、いろんな設定が安直過ぎる気がしたのだ。 とはいえ、20年以上ぶりに触るマリオは気持ちよかった。 ボタンを押すたびに「びよよーん」とジャンプするマリオの気持ちよさ、子供のころに味わったあの感じを思い出して、感動してしまったのだ。 昔、スーパーマリオが流行ったころには、兄弟でファミコンを取り合いになって、それで、親に怒られて、結局、僕のマリオ魂は思う存分ジャンプできなかったのだ。 だから、いまこそ、思う存分ジャンプするのだ。 大人になった今、だれも僕のジャンプをとめることはできない。 というわけで、ニュースーパーマリオブラザーズを買ってきた。 大人買いならぬ、大人マリオだな、この心理は。 というわけで、この仕事が終わったら、こんどこそ、思う存分、びよよーん、とジャンプしたいのだ。

ママネットによるインフルエンザの集団発生対策

「厚労省よりも保険所よりも、お母さんのネットワークのほうが、ずっと頼りになるよね。」 「いっそのこと、お母さんたちにtwitter使ってもらったほうが、役所よりも役に立つんじゃない?」 先日、子供の患者を多く診ている医者仲間同士で呑んでいて、誰とはなしに言い出した。 何の話かというとインフルエンザのクラスターサーベイランスの話。 今年7月、厚生労働省から新型インフルエンザの届出基準についての改正省令が公布された。 内容は、新型インフルエンザ患者の全数把握を終了して、今後は集団発生の調査(クラスターサーベイランス)を行うというものだった。 とはいえ、その時点より2ヶ月以上前の5月半ばの時点で、とっくに医療現場では新型インフルエンザの全数把握なんてできなくなっていた。そのころには、「らしい」患者について保険所に届け出ても、 「季節性の通常のインフルエンザとして対応してください」 って回答しか帰ってこなくなった。 すでに保険所も体力の限界に達していたのだ。 だから、その時点で、全数把握なんてのは、すでに厚労省の大本営発表の中にしか存在しないものになっていた。 7月の時点で、ようやく全数把握は無理だったと現状を追認した厚労省大本営がかわりに打ち出したのが、集団調査(クラスターサーベイランス)。 これは、インフルエンザ患者を一人一人を把握できなくても、せめてインフルエンザが集団で発生した場合だけでも早期に把握して対策をとろうというもの。 医療機関には、インフルエンザの集団発生が起きた地域や集団について、保険所から早い段階で連絡が入るということになった。 でも、この新体制ってのが、グダグダすぎて、さっぱり役に立たない代物。 いまのところ、新型インフルエンザの患者のほとんどは学校に通っている子供なので、集団発生というと、要するに 「どの学校の生徒の間で、どれくらい流行っているか」 または、 「今後、どの学校で流行しそうか」 という話が早くにわかればうれしいわけだ。 そういう話が現場の医者に早く伝われば、そういった事前情報を手がかりにして、より正確に診断できるようになる。それに、子供たちにも、そのお母さんたちにも早めに注意を喚起することができる。 でも、この保険所から入ってくる情報ってのが、これが情報が遅すぎて役に立たない。 それもそのはず、この情報、 学校で流行した場合、 学校のクラスで流行 -> 担任の先生が流行に気がつく -> 校長の名前で教育委員会に報告 -> 教育委員会から保険所に連絡 -> 保険所から各医療機関に通知 とかいうダラダラしたルートで伝わってくるもので、とても、「早期の連絡」とはいかないのだ。 では、早期のうちにインフルエンザの集団発生を知ることはできないのか? 保険所からの流行通知にかわって、多くの医者が必然的に採用するに至ったのが、ママネットワークからの流行通知である。 「先生、Dくんのお母さんから聞いたんですけれど、M小学校で、インフルエンザの患者が増えているらしいんですよ。」 「うちの子が通っているピアノ教室、M小学校の子が多いのよ。心配だから、休ませようかと思っているんですけど。」 「先生、この子の熱、インフルエンザじゃないでしょうか?調べてもらえませんか?」 「K小学校の、うちの子のクラスでは、駅前の学習塾に通っている子がいっぱいいるんです。ホラ、あの学習塾に通っている子って、ほとんどM小学校でしょう?だからM小学校の次は、きっとK小学校で流行るんじゃないかと思うんですよ。それに、今日、その塾に通っている子が二人、学校休んだらしいんですよ。イエ、その子達がインフルエンザかどうかは聞いてないんですけれど。」 役所からの情報に期待できない我々としては、過剰な心配をしているママたちをなだめつつ、どこで、どれくらいインフルエンザが流行しているのかの情報と、さらに、次はどこで流行しそうなのかの予想を入手するわけだ。 このママたちのネットワークの情報と予想が馬鹿にならない。 お役所の通知よりも圧倒的に早くて、しかも、かなり正確なのである。 お母さんたちの中には、一定数の、教育熱心な、いわゆる教育ママがいて、そういう人たちは、常に、同じような教育ママたちと、情報を交換し合っている。それは、たとえば、良い先生がいて月謝が安い塾はどこなのか、どの塾にどういう子が通っているのか、そういう情報。彼女たちの頭の中では、教育というのは、そういった情報戦なのである。 その彼女たちは、子供たちが学校や塾を通じて形成するネットワークのクラスターを正確に把握しており、また、彼女たち自身が今回のインフルエンザ流行についてのウワサを伝える地域の人的ネットワークのハブでもある。 彼女たちの情報力をナメてはいけない。 お役所ごときが勝てる相手ではないのだ。 そういうわけで、彼女らのネットワークの伝える情報を可視化できたならば、ひょっとしたら、厚生労働省のクラスターサーベイランスなどより遥かに便利なママネットワークによるクラスターサーベイランスができるのではないかと、彼女らの情報に頼りきっている我々は、焼酎水割りを片手に語り合ったのであった。

論文落とされました

この業界的にはそれなりな某雑誌に論文投稿していたんだが、昨日リジェクトの連絡がきた
とりあえず、昨日はヤケ酒飲んで(妻には夜遅くまで酒につきあってもらった。ありがとう)今日、レビュアーのコメントを読んだ
レビュアー3人のうち2人がリジェクト、1人がリバイス付きのアクセプト
コメント読んでて、その要求に、そんな事ができるんなら、はじめっからもっと良い雑誌に出してるよって愚痴りたくなる
これは、この週末は敗戦処理でいそがしいな

「自動診断ソフトウェア」の悲劇1

学会とかでもいろいろ発表したネタだし、知っている人は知っていることなんだけれど、僕は、3年前から昨年にかけて、医者のかわりに「診断」をしてくれる「自動診断システム」を作っていた。 この自動診断システムはウェブで動く、プライマリケアに特化したシステム。 なにか体調が悪くて、でも医者にかかるほどでもないからネットで調べたいって思っているような人がターゲット。 このシステムの動作について簡単に説明すると、
  1. まず、ユーザーは、自分の年齢、性別、最もつらい症状を、フォームに入力する。
  2. すると、システムは、その制約の中で、可能性の高い疾患を確率順に列挙し、また、疾患を絞り込むために質問を生成する。
  3. ユーザーが質問に回答すると、システムはその質問の結果を使って、さらに疾患を絞り込み、質問を繰りかえす。
  4. かんたんな質問だけで、これ以上、可能性の高い疾患を絞り込めなくなったら質問を終了する。 という動作をするシステム。
これだけで、プライマリケアでの正診率は、おおむね80~95%に達する。 ベンチマークとして、医師国家試験の臨床実地問題を解かせてみると、おおむね、75~80%程度程度の正答率になる。医師国家試験では、ボーダーラインは60%台なので、これは、コンピュータのソフトウェアが、国家試験に合格する(可能性が高い)レベルに達しているということを意味している。この成績は、実は、この種のソフトウェアとしては、ほとんど最高レベルである。 医師国家試験に合格するレベルの自動診断システムっていうと、みんな、すごいっていってくれたんだけれど、とはいえ、このシステムは、特別複雑なことをしていたわけではない。推論エンジンは、単純なベイズ推論、つまり、その年齢、性別で「よくある病気」の症状にあてはまらないか質問するだけの安直な推論でしかなかったし、推論のためのデータは、ネットで自動で集めただけ。 データ収集は、どうやったのかというと、
  1. このサイトを使う前には、このソフトウェアは、医師の代わりになるものではないので、なにかあったら必ず医師に相談するようにメッセージを出す。
  2. このサイトから離れる際に、ふたたび、メッセージを表示する。内容は、なにかあったら必ず医師に相談してほしいこと、また、このシステムを改善する目的で、受診した医師が行った診断についてメールで質問することがあること、その際、同意いただけるならば、質問には答えてほしいことの3点。
  3. システムの利用者には、システム利用から1週間後に、その後、医療機関に受診したか、もし、受診したならば、どのような診断をされたか、質問する。
この質問の結果をそれそれの疾患に罹患した際に各症状が起こる確率をしめす基礎データとして推論に使った。特別なデータクレンジングなどの操作はしなかった。 さて、このシステムの話をすると、
  • 一般の人に話すと、たいてい、このシステムの精度、つまり、「医師国家試験に合格する水準」という点に素直に驚いてくれた。
  • 統計やデータマイニングの専門家に話すと、このシステムが、データクレンジングなどの操作をさっぱりしていないこと、それにもかかわらず、それなりの精度を持っていることに驚いてくれた。
  • 医師に話すと、ほとんどの医師は驚かなかった。特に、システムの推論メカニズムについて話すと、「ま、俺たち人間の医者がやってることも、そんなもんだろ。」って反応が一般的。
ここまでの経緯から僕が得た教訓
  1. 人工知能やエキスパートシステムなど、過去のコンピュータ技術で使われた方法論のうちで、使い物にならないとされたものは多い。でも、それらの多くは、当時のハードウェアでは使い物にならないとみなされただけに過ぎない。現在のハードウェアの計算能力と記憶容量を利用すれば、案外使えるものも多い。
  2. ネットの生のデータは、きちんとデータクレンジングしないと使えないというのが常識。たとえば、ユーザーが間違えて入力したり、時には故意にウソのデータを入れたりするから。でも、これは状況によっては正しくない。
    • たとえば、専門的な「病名」などについては、ユーザーは入力時に間違いを犯しやすいのだけれど、でも、事前に、「診断名を質問するよ」って伝えておくことで、記憶違いなどは、相当抑制できる。
    • また、体の調子が悪くて、どうすればいいかネットで調べたい人は、ウソのデータで検索したりはしない。
  3. そういう社会的、心理的方法を十分に配慮したら、データクレンジングはほとんど不要になり、自動化できる部分をふやすことができる。
  4. 実のところ、医者のやっている推論は、そう複雑な推論ではない。そして、ほとんどの医者がそれを知っているし、それを指摘されても不快には思わない。
  5. にもかかわらず、医療関係でない人たちは、医者のしている「診断」を実際以上に専門的で複雑な推論だと思っている。
次回、このシステムの開発の悲劇的結末について(いずれ書く)。
プロフィール

Hideaki Takata

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